思い返しちゃいました。。
先日、仕事の関係で多度津・善通寺・丸亀方面へ…
あぁぁ…懐かしい。。。。
そうです高校時代のメイングランドです。
言い方を変えればみんなが遊ぶ公園です。
昔はここに大ゴールがありました。
ナイターもありませんでした。
冬の時期は野球部の監督に頭を下げに行き外野の奥をおかりして練習していました。
ご存知の方も多いかもですが、私は高校の進路選択を誤りました。
今考えるとその時期があるからこそ、今の自分が居るので間違っていなかったですが。
当時は後悔しました。
中学時代、国分寺中学校と言えば全てにおいて部活学校。
毎週どの部が優勝し、表彰されるのか待ち遠しいぐらいの盛んで、活力がありました。
サッカー部もNHK・KBNでは県優勝をしたり、最後の総体は残念でしたが3位と常に上位でした。
トレセンに入っていたこともあり、進路は推薦で直ぐに決まりました。
が…!!
なぜか最終で進路を変更したのです!
当時の推薦で取ってくれようとした先生とは今も繋がりがありますが、今だに『何でこなかったんだ!!』と言われるぐらいです。笑
変えた理由は、
・もう少し自分で産みだせるチームにいきたかった!
・少し離れた場所で知らない地で、知らない仲間とチャレンジしたかった!
やはり昔からちょっと変わってたのかも知れません。。
テストは無事に合格し、他の高校の皆は春休みに高校の練習に呼ばれる。
私はいっこうに連絡がない。。。
『いや!俺だけ連絡が来てないのかも…』と思い、練習場へ。
言葉を失いました。
5名しかいない。
練習はPKをして遊んでる。
練習は30分でみんないなくなる。
まじかよ!
全てが嫌になりました。
実際入学しても、
・監督はいない
・ボールはほとんどない
・ビブスも揃ってない
・ユニも番号が抜けてる
・マーカーなんてあったかどうか分からない
・人数もすくない
最初に組んで頂いたTMは志度までいきました。
何でそんな高校に行ったのか?
誤った情報を信じたから!
自分の目で感じなかったからなんです。
さすがに親に編入の依頼をしましたが、受け入れてくれるような家ではありません。
5月には3年生が引退し…
事実上のキャプテンを1年生の頃にするようになりました。
『今日デートだから練習休む』
『走るならいかん』
『ゲームだけやるわ』
こんな感じですw
唯一の救いは同学年に人数がいたこと。(18名ぐらい?)
それと吉田コーチのようにサッカーが好きな選手がいたこと。
ここからが私のスタートでした。
よく漫画とかに載っている、ストーリーと同じです。
毎日声掛けをして練習に来て貰いました。
練習に来てもらうことに頭を下げたり、同級生に気をつかうこと…サッカーが出来るならそれ以外は我慢していたと思います。
朝練もしました。
来ない選手もいました。
練習を休んだ選手が3名居ればx10して30本走ったりしました。
TMも自分で先生に電話して組んでました。
次の学年の勧誘も行きました。
中学校の先生の許可を得て中学校へ!
そして、一緒にやらないか!と口説いて何校も回るわけです。
ユニフォームも作りました。
もうすべて自分ですw
協力はしてくれますが、何もかもが私次第です。
グランドを練習後に一人で1時間半ならしていたことも思い出しました。
一人だけ皆が返った後に野球部の走り込みにも混ぜてもらい走りました。
キャプテンなのに、走ると先頭ではないことが示しが付かないと思い走る練習もしていました。
暑苦しさもあったと思いますが真剣でした!
一日一日があっという間で、それでも私も高校生だからやはり遊びたい時がありました!
遊ぶお金も欲しくて、夜の9時~11時まで坂出のインター近くの倉庫で積み込み、仕分けをしたり、部活の休みの日にはバイトをしたり、夏休みも練習後に8時間働いていました。
今思うと凄い高校生活でした。
定期代を服に使って、片道25㎞チャリで数ヶ月通ったり…
色んな方にご迷惑をかけた時期もありましたがそれも含めて青春かなと。
最後に…
マンガみたいな話ですが、このサッカー部50名を超える部員になりました。60弱かなぁ?
そして、西讃の方では優勝。新人戦・総体・選手権はベスト8。
誰もが不可能と思ってた最悪の現状でも、やればどうにかなる!と経験した高校時代でした。
そのようなグランド。
ここ…
サッカーやらない!
俺らのアップは野球や!と同級生に言われ彼らは良くここで野球してました。(ピッチャー、キャッチャーバッター)
ふざけてる話ですが実話なんです!
ここ…
練習が始まっても座って来ない選手を何回も呼びにいきました。
目を離すとここで悪い事を…
何度も、何度もサッカー真面目にやろうぜ!と言い続けました。
ここ…
入るな!!
言うても皆入るゲートボール場。
何度も怒られました。
全てが思い出です。
いいことも悪い事も想い出。
でも今こうやって話せるのは、当時を全力でやっていたからなんだと思います!
情熱があったんだろうなぁ!
こういう背景から私は選手の進路にシビアなんです。
そして100%現場主義なんです。
人は必要とされる場に必ず立たされます。
いい時もあれば、悪い時もあります。
大切なのはその場でどう向き合うのか?だと思いました。
こんな私の昔話しでした。
全ては『今』に焦点をおくこと!
ですね!!
逆境に立たされても、信じて、想いつづければ必ず叶う!!
こういう経験が人間性を磨くんだろうなぁ…。
今からある困難にも逃げずに向き合わないとだ!!
さて、今は朝の4時🕓です。
今日は早朝に出発して広島に行って来ます。
進路のことです。
昨日も練習後に遅くまさまで進路の話をしていました。
大変?よくやるなー?
こう思えば、指導者は出来ないかもしれません。返ってくるのは15年後ぐらいですよ!感謝されるのは10年後ぐらいですよ!でもやっぱり指導者が楽しいのは人が好きだからなんだと思います!
何に対しても謙虚に、直向きに、素直に!
行ってきます!
皆さまも良き週末をお過ごしください!
香川敬典