素直な想いを綴ります
2015年6月25日
素直に綴ります
いきなりですが
私、6~7年間迷い、悩み、迷走して来ました
今が31歳なので23~24歳の頃です
当時はユニクロ・サッカー・シーガルと仕事・選手・指導者と
同じ生活をしていました
23、4歳の頃に500坪のイオン高松店がOPENする事が決まりレインボー店から
栄転になり移動しました
部下100名。23歳の若僧にはハードルが高く、しがみついてやりました
イオンからシーガルのグランドが近く、またコーチの立場でしたので
コーチとしての役割に全うしました
沢山のタイトルをとることが出来ました
当時の監督の手腕がカリスマ的存在だったことは鮮明に覚えています
多かった時で中学生だけで70名いたと思います
25歳
外資系企業からヘットハンティングを頂きました
条件面は当時の年収の2倍の提示
ユニクロより大きな企業
立ち位置は店長及びスーパーバイザー
県内にお店があるので香川県に居る事は出来ました
しかし、指導者がしたかったのです
『平日5時半の土日祝休み』の条件はある訳は無かったのです
当然のお話です
正直悩みました
でも目の前の選手をほおっておく事が出来ませんでした
ヘットハンティングをされた時には既に次のステージがユニクロで用意されてました
イオン高松で結果を残せた経緯もあり
ゆめタウン高松店に栄転で移動になりました
香川県内のTOPを張る首脳陣が集まり、その中に入り、これまた店長代行者として没頭しました
忘れもしない
主婦の方が沢山いたのですが、毎日130%以上の力を出してくれました
最初は帰るのが朝の2時。出社は6時半。
新店の苦しさ、部下育成、業務…何度もバックルームで天井を眺めては頑張りました
スタッフが『香川さんの為に!』と汗を流してくれました
私が出来る事は、その方の業務レベルを上げて給料を上げることでした
確か8割はあげれたと過去のノートに書いていました
上司面談の時に『SV・店長』の話が出てきました
これまた指導者が出来なくなる要求でした
当然のお話です
勿論、全国転勤&海外もありうるわけでした
当時見ていた選手は確か今の大学2年生~高校3先生かな
監督をするようになったので、指導者は辞めないつもりでした
指導者が続けたくて、でもそれだけでは食べていけなくて
沢山の高校のバスの運転手や事務仕事を探しました
職安にも行きました
そして、今の会社の社長からお話を頂きました
『指導者を続けたいです』と素直に伝えました
そしてその時の四国クローバーリーグは9位、高円宮杯四国ベスト8で幕を降ろしました
その選手が大学1年生です
沢山ぶつかりました
全員坊主にさせて、1日80mを100本を1ヶ月させたこともあります
駆け引きなんて出来なくて、ひたすら真正面から向き合いました
そんな選手が四国大会の試合前に私の部屋に来てミサンガをくれました
号泣しました
孤独でした。勝てないシーズンでした。選手も同じ想いでした。
そしてその大一番で勝ちました
女の子も出しました
勇気がいりましたが出しました
そして自分にトラウマがありました
指導が出来ないという事です
そしてプロ上がりでも無く、上手くもない私は指導者まがいでした
行く先も分かりませんが、何か!と思い
B級を受けさせて頂きました。その受講する香川県のテストにも落ちました
指導が出来ない、指導者なので落ちて当然でした
しかしリベリモの中山さんが『四国の枠で香川君を押したろ!』と言って頂き受講しました
転職をした会社でいきなり1週間x3回休みました
その年に結婚でしたが、新婚旅行も連れて行ってあげれませんでした
毎晩、毎晩日が変わるまで勉強しました
家族は、いつも家にいない生活を影ながら支えてくれているのかもしれません
その分、人に会いに行き、考えを聞いて学びました
その次の年はクローバーL最下位の結果になりました
各高校で全員に近い選手がレギュラーで活躍しています
やんちゃな選手もいました
学校にも謝りにいきました。でも私を男にしょうとしてくれた代でした
仕事とサッカーの両輪をひたすらやりこみました
『何で勝てないのですか?』こんな厳しいお言葉を保護者から頂いた事もあります
それでもいい勉強を費やせました
そして次の学年は3年生が5人でした
苦しいゲーム展開のリーグでした
『何で?』と思いました
合宿に行くと朝の5時には選手は外に出てタイム走の準備をしていました
4部練習もしました
でも終わってみればカマタマーレにも勝ったりと6位で残留を決めました
『これじゃダメだ、俺。』と思い
A級も1週間x3回
総額50万円以上はかかります
全て実費です
社長に頭を下げに行きお願いをしました
そしてなんと四国のテストも通りA級受講が決まりました
自分の考え・色もはっきり持たず
『ヌルイ・なめてるやつ』だったと思います
皆さん、サッカーのプロの指導者です
プロ経験者も多く、TVで見るような方ばかりでした
必死でした。必死で学びに行き、質問も沢山しました
夜の12時ぐらいから数時間は会社の仕事をしながら
必死の想いでA級を取得しました
少しずつ指導者の『し』を語れるような信念を持ち始めれました
開幕2連敗でした。いきなり出鼻をくじかれました
私のせいで負けたと思っていました
朝は6時前から山道を3kmタイム走、終われば朝3時間練習、昼間に3時間練習、ナイターで1時間半練習、映像ミーティング1時間
を繰り返しひたすら想いを刷り込みました
『何やってんだ!何で満足してんだ!何をやってきた?』
後半13点とり、60分で20点取りました
勝ち点1を追う展開が続き、カマタマーレとの首位攻防戦もせいし優勝しました
そして高円宮杯四国予選、1-0で粘り勝ちました
試合後には毎回練習をしたり、走らせていました
この話が去年の今の話です
そして今年はまだ公式戦で勝てていません
クローバーLに昇格したものの毎試合大差で負けてしまう
ボールは保持できず、全試合苦しい内容です
私の指導不足しかありません
少しずつ変わり、良くなる選手達
私の力量が試されているかのような感じで今もなお必死です
そして今の2年生は3人
1年生は20人ちょい
来年もおそらく試合の主導権は厳しい展開が予想されます
そして色んな想いがあり、INNOVATIONのスクールを設立しました
その間に色んな事をしました
自分の目指すべきものが無いのに、学ぶ事をひたすらしました
分からず毎週1冊本を読みました
女子全国大会3連覇の知り合いの監督に逢いにいったり(日ノ本学園)
そして今日の朝、ある方にメールの返信が出来ていなかったのでお返ししている時に
自分の今までの目先の『点』がいきなり『線』に繋がり始めました
答えは…
『魅力的なクラブ』を創りたい
県内に公共の場を借りながらナイター設備を自分たちで管理しているクラブがあります
先週、見に行きました
横のグランドが空いていたので(笑)それは冗談として…
関係者と逢って話したい…と思っていたら7/4にお時間を頂けました
食事をしながら沢山学ばせていこうと思います
有難いご縁に感謝です
7月19日に私は県内の高校生の講演会に行きます
高校生とスクール生がコラボするかもしれません
強いより魅力的なチームが組織がこの手で創りたいと思いました
ただ魅力的な組織には、魅力的な選手が集まり、おのずと結果は残ります
今まで逆を考えていました
そして今まで目先の事だけにやりこんできた答え…
『何の為に取るの?何が目標?』と聞かれていた答えが応えれます
『類に無い、魅力的な組織をこの手で創る為です』
今、どうしても会いたい方がいます
逢いたい人には逢うようにしています
こんな内容になっちゃいましたが、今日は頭の中を素直に綴りました
これから先は①動くか ②動かないかの2つです
シンプルにそして、ワクワクすることをこの手で創っていきたいと思います
きっと同じ未来を描ける人ととは一緒になり
そうでなければ関係が切れていくと思います
でも目指すべきところが決まれば人の目は気にしません
全ては子供の幸せ、家族の幸せ、町の幸せの為です
31歳。追い風が来ました!と勝手に思っています(笑)
妄想は自由です タダです
さすがにここまで打つと手が痙攣してきました…
読んで頂いた方も長くてすいません
今日は誕生日が4名!
ケーキも買いにいかんとです
さて、今日は何からやるかな!
雨よ!降るなよ!
香川敬典